出発 2002年9月26日 アリタリア795便 11時25分発
    イタリア ミラノ着 17時25分 
            (時差7時間 飛行時間約12時間)
          ミラノ発 20時15分 アリタリア56便
    スペイン バルセロナ 21時50分着
            (時差そのまま 飛行時間約1時間半)
9月27日 バルセロナ
  サグラダファミリア教会、グエル公園、カサ・ミラ、バトリョ
9月28日 バレンシア
  ラ・ロンハ、ファーリャス美術館、カテドラル、メルカード市場
9月29日 マドリッド、トレド
  プラド美術館、王宮、スペイン広場、カテドラル
9月30日 ラ・マンチャ、コルドバ
  風車、メスキータ、花の小道
10月1日 グラナダ、ミハス、セビリア
  アルハンブラ宮殿、白い街並み
10月2日 エヴォラ
  サンフランシスコ教会、カテドラル、ジラルド広場、ディアナ神殿
10月3日 リスボン、シントラ
  ジェロニモス修道院、発見のモニュメント、ベレンの塔、
  シントラ王宮、ロカ岬
10月4日 リスボンより7時20分発
  ルフトハンザ4295便でフランクフルトへ(約2時間半)  
  フランクフルト13時55分発ルフトハンザ740便で関空へ
    関空着午前7時50分(約10時間)

バルセロナ
バルセロナといえばアントニ・ガウディ・コルネットの作品で一杯だ。代表作を見学するのが観光ルート
サグラダ・ファミリア教会はさすがに豪快である。完成が100年後とも言われているが、正面から見ると出来上がっているように見える。しかし中に入ると大きなクレーンが何本も立ち工事が盛んに行われている。ガイドの話しでは後約30年ぐらいで完成するのではともいわれていた。完成した暁にはもう一度見に来たいものである。

グエル公園 多彩色破砕タイルのモザイクを曲面に貼り付けたベンチや傾斜柱など、いろいろと変わった建造物がありガウディの奇異ともいえる発想に感心させられる。

カサ・ミラとカサ・パトリョ 時間の関係でバスより下車観光は出来なかったがどちらも見事なもので、特にライトアップされたカサ・パトリョはきれいなものである。
   

ピカソ美術館  この美術館には9歳から”青の時代”までの作品と晩年の作品が中心、油彩、版画、デッサンなど。残念ながら写真撮影ができないため一枚もお見せできない。ピカソの絵と言えば三角や四角で、何を描いているのか良く判らないものとばかり思っていたがまったく違っていた。あの抽象画は晩年の作品で、若い頃は本当に絵がうまかったのだ。それを見ることが出来、ピカソに対する印象が大きく変わった様な気がする。

バレンシア
夕食はスペインの名物、パエリアであった。左はお米を入れてこれから仕上げる所。右は出来上がったパエリア40人分。普通は魚介類が入っているものであるがバレンシアでは鶏肉とえびが入っていた。
お米は少し硬くまだ煮えていないのではと思えるぐらい。結構辛くてお世辞にもおいしいものとは言えなかったが、その国の食べ物を経験するのも旅の思い出である。

ラ・ロンハ  
イスラム王宮跡に1948年に造られた絹の取引所。扉や窓の飾り格子などにある怪物の彫刻はみごとである。街中にはいたるところに銅像があり、右のは誰のものか聞いたが忘れてしまった

カテドラル、ミゲレテの塔は1262年〜1482年に建造された。長い期間であったため、様式はバロック、ロマネスク、ゴシックと混ざっている。内部の主祭壇の両側を飾っているレターブロはレオナルド・ダ・ビンチの弟子による作品である。高さ68mの8角形の鐘楼をミゲレテの塔という

バレンシアからマドリッドの途中にはひまわり畑が一面にあり、咲いていれば見事な美しさであろうと想像しながら眺めていた。


ひまわり

風力発電

オリーブ

綿

なにしろ国土の広さは日本の1.3倍、人口は約1/3の所に個人の家は集合住宅として中心部に集まっているため、農地が広くオレンジやオリーブの栽培が見渡すかぎりで多少あきあきもした。また綿も収穫の時期にきていた。山の上には風力発電の風車が並び天気もよく景色は最高であった。

メルカード市場
  
 生ハムを始め生鮮食料品が非常に安く売っている。日本に持ち帰れるのであれば、たくさん買い込みたいところ残念である。仕込んでから、出来上がる期間は1年間ぐらいで、1個約1万円程度。

マドリッド
プラド美術館
ベラスケス、ゴヤ、グレコ、ラファエロ、ルーベンスなど世界の巨匠が描いた有名な絵画が8000点以上所蔵されている世界3大美術館のひとつ。どの絵を見ても素晴らしいが、時間が制限されていてゆっくり鑑賞する事が出来ない。本当に駆け足でまわらなければならなかったのは残念であった。


ルーベンス「3美神」

ゴヤ「カルロス4世の家族」

エル・グレコ
「胸に手を置く騎士の肖像」

ゴヤ「裸のマハ」

ゴヤ「マドリッドの1808年5月3日」

王宮とスペイン広場
1738年着工、1764年完成したスペイン歴代国王の住居。部屋数は5000にも及ぶと言われ大きさには圧倒される。中は見学しなかった。この王宮の反対側にあるスペイン広場にはドン・キホーテとサンチョ・パンサの銅像がある。この辺ではスリや引ったくりが多発しているとか、馬に乗ったお巡りさんが公園内を巡回していた。



トレド

タボ川に囲まれた高台にある街。巨匠エル・グレコが創作活動をしたところでも有名。
   
    
左の高い鐘楼のある建物がカテドラルで、大モスク跡に1493年建造され、キリスト教スペインの首座大司教座にふさわしい豪華さを誇っている。

この付近では象嵌細工が有名、お土産としても適している。この夜の食事は子豚の丸焼きで、シェフが全員に見せてまわった後、お皿を子豚の丸焼きに振り下ろして切れ目を入れるデモンストレーションをした後全員に切り分ける。1人前はこんなもの・・・。皮はカリッとして結構おいしかったが、食べる前に丸焼き全体を見ているので何となく食べずらい感じではあった


ドンキホーテを題材にした象嵌細工

子豚の丸焼き

1人前


コンセグラ
マドリッドからコルドバに向かう途中、ラ・マンチャ地方コンセグラの小高い丘の上に風車が並ぶ、景色のいいところがある。風車は現在動いていないが、昔粉引きに使っていたとか。管理人のおじさんが1人、丘を登る入口にいて、観光バスが登ってくると自動車で風車の側に来る。風車のうち1台が保存状態が良いので観光用に中を見学させてくれたり、お土産を売っている。このおじさんなかなかの商売上手で、わずかの日本語を次から次へとしゃべっては気を引いている。「独身」「きれい」「おじょうさん」「さらばじゃ」等、まったく大阪のおじさんみたい。



コルドバ

かつてイスラム文化の中心地だったコルドバ、中でもメスキータは特異な教会である。昔は2万5千人も収容できる巨大モスクであったが、13世紀にキリスト教の大聖堂に転用、中央部にゴシック様式のカテドラルが造られた。馬蹄形のアーチが並ぶのもそのためである。アーチ型の天井の奥にはキリストがいてなんだか不自然であった。当日も中央の礼拝堂が工事をしていて、その間はアーチが並ぶ下に椅子が並んで礼拝が行われるようになっていた。
ユダヤ人街を散策すると、白壁の家がたくさんあり、それぞれの家では窓や壁に花が綺麗に飾られている。その間を狭い小道がまるで迷路のように走っている。その小道の間からカテドラルが見える綺麗な街並みである。


メスキータ内部 柱の手で触れるところは光っている


花の小道よりメスキータを見る


グラナダ

ローマ時代から栄えた街でイスラム支配のもとグラナダ王国が築かれたが、1492年イスラム最後の砦であったアルハンブラ宮殿がキリスト教に破れ数百年も続いたイスラム支配に終止符が打たれた。左は全体、右のライオン像は時計。下の円柱がある建物は劇場、右下は第1〜3夫人がが住んでいた部屋。

アルハンブラとは”赤い城”と言う意味。城が建っているサビーカス丘陵は赤土で出来ている事からきている。

ヘネラリーフェ庭園はアルハンブラ宮殿の東側にあり、夏の離宮といわれる。中央に噴水で囲まれた水路があり月桂樹やバラ、糸杉の生垣で囲まれ、イタリアのルネッサンス様式を思わせる庭園である。 当日は糸杉の刈り込み作業の最中で左は手入れ前、右は手入れ後の写真

またこの地方では寄木細工が盛んで木材と貝、銀片などを組み合わせて作る。見ていると簡単に出来上がってくるが切り口や角度など難しそうである。
ミハス
白壁の家が城壁のように固まって建っている”白い村”があるのは、この地方。コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)より少し内陸に入ったところ。家々の窓辺にはいろんな花が咲き乱れている。ロバのタクシーもあり時間があれば乗ってみるのも面白そう。観光用の集落は小さく、本当に小さな闘牛場もあった。中を見学する時間は無かったのは残念であった


セビリアでは夜フラメンコショーに出かけた、さすがに本場でど迫力な踊りであった。
  


ポルトガル エヴォラ
スペインより国境を越えてポルトガルへ、と言ってもただバスで通過するだけ、パスポートにも何の記載もなし・・・・。チョット残念でした。
ジラルド広場を経てエヴォラ大聖堂に。12世紀に建てられた教会で内部の装飾は見事なものであった。少し行くとディアナ神殿が突然のように見えてくる。イベリア半島に残っているローマ時代の遺跡で、月の女神ディアナに捧げられた神殿と言われている。(バックに写っているのは大聖堂)。近くにサン・フランシスコ教会があって、有名な人骨堂がある。天井から壁、柱まで5000体もの人骨で埋め尽くされた部屋があってとても写真では紹介できない。


ディアナ神殿とエヴォラ大聖堂


バスで移動中、見えてきたのは水道橋(昔はこの橋の上に登る事が出来たとか、そのときそこから突き落とされる人が多くて現在は禁止されている) 



リスボン
ホテル周辺
すぐ近くに闘牛場を始めいろんな観光地があって、朝早くや夜など時間のあるときに散策してみた。まず地下鉄乗り場、大きな”M”のマークがありすぐに見つけることができる。闘牛場は老朽化が進んで、現在改築中とか残念ながら見学できなかった。また街の道路中心部にはいたるところに銅像があって、ドン・ペトロ4世以外は誰のものか良く判らない。近くには昔懐かしいメリーゴーランドやお化け屋敷などがあるフェイラ・ポプラール公園があって、夜には近くのリスボン大学から学生達が集まっていた。その大学の前にあるカンポ・グランデ公園には良く判らないおっぱいの大きな銅像があった。また夜になると街のいたるところで焼き栗を販売している。日本の天心甘栗とは違って、屋台の鉄板の上で栗そのものを焼いて塩をまぶしているだけであるが結構おいしいものである。


地下鉄

ドン・ペドロ4世

闘牛場


意味不明なオッパイ

フェイラ・ポプラール遊園地

リスボン大学

 
ベレンの塔、発見のモニュメント


1519年、船の出入りを監視するため建てられた
マヌエル様式の5階建ての塔

1960年エンリケ王子を記念して建てられた
王子を先頭にバスコダ・ガマなど偉人達が並ぶ

発見のモニュメント近くにある売店では、非常においしいので有名なタルトが売られている。また後には4月25日橋と呼ばれる釣橋がある。昔は独裁者の名前で”サラザール橋”といわれていたが、革命が起こった日がそのまま新しい名前になった。チョット小さくてよく見えないと思うが、その橋の右側に、ブラジルのキリスト像に模して1959年に造られた両手を広げて立つキリスト像があるリスボンに入る時この橋を渡るので良く見える。ポルトガルではがお守りとしてよく売られている。無実の罪で裁かれている人が、みんなの前で丸焼きにされた鶏を見て、もしこの鶏が起き上がって鳴けば私の無実は証明されると言って、その通りのことが起こったので、それ以来鶏は守り神として使われるようになったとか。

ジェロニモス修道院
16世紀に建てられたマヌエル様式を代表する礼拝堂、レース模様のような彫刻が施された南門はボイタックの作で、聖母マリアに捧げた礼拝堂の入口にある。

ロカ岬
ユーラシア大陸の西の端が、ここロカ岬である。尖端に立つ碑には詩人カモンイスの”・・・・・ここに地果て、海始まる”と言う詩が刻まれている。シントラ市発行のユーラシア大陸最西端到達証明書を、名前入りで発行してもらったが特殊な書体なので読みづらい。通し番号はC−No103811であった。


シントラ王宮
山奥にひっそりと息づく美しいシントラ、かつての貴族やお金持ちは夏避暑地として使われた村で、街中には綺麗なタイルで出来たアズレージョがたくさん見ることが出来る。その中で2つの巨大な円錐が立つ王宮、この円錐は台所の煙突になっている。

スペイン・ポルトガル体験記
 スペイン
  1.時差7時間(これは10月末までサマータイムのため)、 朝7時はまだ暗い、その代わり夜は7時近くまで明るくスペイン人は夜活動
    するのが好きみたい。夕食を8時前にすると変な目で見られる。レストランもどんなに早く行っても7時半が限度・・・
  2.スペイン国内で主要都市の移動はバスであるが、これは大変1日約300〜400Km走るため乗り物酔いには気を付けて
  3.気候は日本とほぼ同じと見たほうが良い。この時期もっと寒いかと思ったが、寒いのは朝晩だけで昼間はむしろ暑いぐらい
  4.英語はほとんど通じないし、スペイン語はまるでわからない。買物時、意思伝達に苦労する
  5.ホテルは今いち、ヨーロッパはほとんどであるが、バスのお湯がすぐに出なくなる
  6.治安が悪いとガイドさんや添乗員に脅され(最もホテルは町外れであった)、夜街に出れなかったのが残念。
  7.プラド美術館にはもっとゆっくり出来ればと思った。観光客も多く混雑している。
  8.ひまわり、オリーブ、オレンジの3種類が、それぞれの地方に固まって植えられバスの車窓から見る風景はいつも同じ
  9.お土産はトイレ休憩する高速道路の売店で  ホテルにはほとんど無いと思ったほうが良い
 10.食事はまあまあ  比較的食べ易い 特に朝は一部を除いて充実していた
 11.フラメンコショーは期待通り 運良く舞台すぐ側で観賞できたのは良かった
 12.スペインの住宅はほとんどが集合住宅、一戸建ての家は地方の田舎に行ったときだけ。人が少ないから街の大きさは小さい

 ポルトガル
  1.街の中はとても綺麗、いたるところに有名人の銅像があって、しかも大きい。でも誰だかわからなかった。
  2.大航海時代の歴史上の人物が身近に感じられる国である。
  3.柿の木が日本から持ってきたものとは知らなかった。TABACO、パンなど日本語がそのまま街の中で見ることが出来る
  4.時差は8時間 スペインとくっついているのに時差1時間  とても不思議に思うがどちらかと言えばスペインがおかしい

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