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2004年9月29日 1日目 関西空港10:00発 CA162便 北京12:10着 北京14:20発 CA1201便 西安16:05着 時差1時間 2日目 西安 秦始皇帝陵、兵馬傭坑、華清池、歴史博物館 大雁塔、碑林、鼓楼、城壁、城門等 3日目 西安 7:30発 MU2231便 敦煌 9:50着 敦煌 莫高屈、鳴沙山、月牙泉 4日目 敦煌郊外 玉門関、漢代長城、白馬塔 夜行寝台列車で敦煌からトルファンへ 敦煌発19:41 トルファン着5:14 5日目 トルファン ベゼクリク千仏洞、火焔山、高昌故城 アスターナ古墳群、イスラム寺院、交河故城 カレーズ地下水路、ぶどう畑 6日目 トルファンからウルムチへ砂漠の高速道路を走る 天池、新彊ウイグル博物館 7日目 ウルムチ市内 バザール、市民公園 ウルムチ発16:35 北京着20:05 8日目 北京発 CA151便 大連経由 関西空港14:20着 天山北路のシルクロードは西安から始まり敦煌、トルファン、ウルムチへと通じている。今回は北京経由で西安に入り、世界遺産で有名な兵馬傭、敦煌の莫高屈壁画、楼蘭の美女ミイラなど見るところが多い観光である。ただし食べ物と気候には気をつけないと途中でダウンするかもしれない。 |
西安
関空から北京までは順調に飛行、北京空港で国内線の西安に乗り継ぐ。北京空港は結構広く、乗り継ぎ時間も少ない上スーツケースは一旦受取、また預けると言う手間があって焦って移動する。ところが搭乗ゲートに着くと西安行きの飛行機が機材遅れで1時間の待ちぼうけ、こんな遅れると言う情報はチェックインの時に言ってくれ。あせる事は無かったのに・・・・・・・
結局この日予定していた観光は無しになって、ホテルに直行する。西安には珍しく雨が降っていて、黄砂も洗われ綺麗な街並みだそうだ。翌日は朝から雨、観光にはちょっとがっかりだがこればかりはどうしようもない。昨日の行けなかった所も観光するためちょっとハードスケジュール。
京都が真似をしたといわれる街づくりで整然とした道にはやはり感心する。まずは郊外から市内観光へ
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華清池 | 大雁塔 |
玄宗皇帝が楊貴妃と過ごしたと言われる温泉地が華清池、残念ながら雨だったので、広大な敷地内にいろんな施設が点在しているすべてを見学できなかった。たっぷりとした湯量が昔の豪華さをものがたっていたが、現地の観光客はほとんどいない(どうやら入場料が40元と高すぎるのではと感じた)
西安のシンボルとして存在している大雁塔は「西遊記」で有名な玄奘三蔵法師が、インドから持ち帰った経典を保存するために建てられた。大雁塔の名前は、玄奘三蔵が修業中に雁の群れが飛んでいるのを見て、ふと雁を食べたいと思った時に一羽の雁が手元に落ちてきたのを見て非常に恥ずかしく思ったとか。それが由来だそうだ。
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1087年に造られた孔子廟の建物に石碑を集めた博物館で、漢代から清代までの1095基が保存されている。有名な論語などもあって拓本つくりが盛んに行われている。この拓本はちゃっかりと博物館内で売られていてちょっとビックリ・・・ |
碑林博物館 | 拓本を取っている |
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市街地を囲む城壁で東西が2.65Km 南北が4.2Km、高さが12mもある。この城壁の上は結構幅があって夏はビアホールが開かれるとか。西の城門からはローマに続くシルクロードの始点とも言うべき道路が見える |
城壁 | シルクロードの始点 この先がローマに続く道 |
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鼓楼 | 鼓楼より見た鐘楼 |
広場をはさんで鼓楼と鐘楼が建っている。西安の目印的な建物で楼上に上ると市街を一望する事が出来る。昔は時刻を知らせるのに使い、太鼓と鐘で午前,午後の区別をしていたようだ。また公園内では20個以上つながった連凧を揚げているので、見ていると凧を売りに来る。これがまた安くて3個(4つつながった連凧)で5元(約70円)つい買ってしまったが、まあ商売で凧上げしているのに気がつかなかった
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兵馬傭坑 | 兵馬傭レプリカと | 銅製の4頭馬車 |
西安最大の目的である兵馬傭坑の見学。秦の始皇帝陵から1.5Kmの所で1974年農民によって発見された巨大な陶傭坑。東西230m、南北62mの大きな体育館のような建物の中に保存されていた。中では現在も発掘が続いていて兵馬傭総数8000体とも言われている。傭とは殉死者の代わりに埋葬される人形のことで、身長180cmぐらいの大きさ、重量約300Kg、鎧兜に身を固めて今にも動き出しそうな形をしている。当然中での記念撮影は出来ないので、レプリカの前で大きさを比べてみた。
敦煌
西安より中国東方航空で敦厚へ約2時間、国内航空は機材が古いと聞いていたが最新のボーイング767で、中国国際航空より立派であった。機内から眼下を見下ろすとそこはゴビ砂漠、見渡すかぎり草木の生えない石と砂山ばかり。
敦煌博物館
到着後早速莫高屈へ、砂漠より高いところにある屈と言う事で”莫高屈”の名前が付いたとか とにかく世界遺産だけあって壁画が素晴らしい。時間をたっぷり使って研究員の人がわかりやすい日本語で丁寧に説明してくれる。写真撮影が禁止されているのでカメラを持ち込めない(手荷物検査で取り上げられる)、従って写真は外観以外はない。屈内は暗いので懐中電灯を持っていくと良いが、ガイドさんが説明してくれる時は光を当ててくれるので必要を感じなかった。
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九層楼 | 莫高屈全体の左半分外観 | 屈を作った僧達の住居跡 |
九層楼の中は1階から9階まで空洞で、大きな大仏像が座って見下ろしている。屈の数は1000個以上あるが発掘されているのは492屈で、45000u以上の壁画と2000体を超える塑像がある。屈は僧達の修行の場でもあり、仏教の教えを分かり易くするため壁画にしてあるとも言われている。
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莫高屈の入口にある左右の飛天像 | 壁画や塑像の一部(クリックすると大きくなります) |
鳴沙山と月牙泉
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砂漠の一部鳴沙山 | 観光客用のラクダが待機している |
ラクダに乗って鳴沙山を行くと何処から湧いてくるのか、水深50mもある三日月の形をした月牙泉に着く。砂漠のど真ん中に泉、これまた不思議な組み合わせ。観光客が多いためラクダも数えられないくらいたくさん待機している。それぞれに番号が付けられ、行きと帰りは必ず同じラクダに乗るようになっていて、5〜7頭が一列になって進んで行く。モロッコでも乗ったことがあるので抵抗なく乗ることが出来た。おとなしく訓練されているので馬よりも楽である。
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ラクダに乗った | 月芽泉 |
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![]() 羊の丸焼き |
昼食 |
この旅行で一番苦労したのはなんと行っても食事である。香辛料がきつく羊の肉のみならず、野菜の煮たものもごめんなさいの一言であった。写真のように運ばれてからすでに20分が経過してもなかなか減らず、上に上にと積まれていくばかり・・・・・これでも8人で一斉に食べた結果
右は子羊の丸焼き、お客さんに見せた後切り分けて配ってくれるが、見た後ではさらに食欲がなくなってどうしようも無かった。
玉門関、漢代長城、白馬塔
![]() 見渡すかぎり砂と石の砂漠。この日は砂埃ではっきりしない シルクロードの敦煌付近、北と南にひとつづつ関所があった。南を陽関、北を玉門関という。敦煌市内から砂漠の中を車で2時間、ひた走ってようやく到着、道は舗装されているとはいえ砂漠の砂の上、当然地盤が軟弱なため舗装がでこぼこである。そこをがたがたと砂埃を上げながら進むわけ、まるで人間の振動試験、そんな中でも全員今までの疲れが出てしっかりと眠っている。ただ感心するのみ |
![]() 砂漠にぽつんとのろし台がある のろし台は数Km間隔で作られていて、敵が攻めてきたときなどは馬よりも早く情報伝達できたそうだ。燃やすものは乾燥した草に狼の糞を使えば煙は真っ直ぐ上に上がったらしい |
着いた所は砂漠の中に忽然と立っている関所や城壁の址、やはりシルクロードは大変な道であると改めて感じた次第。こんな状態で白馬塔に行ったが、”砂漠に迷った旅人を村まで連れて行ってくれた利口な白馬のための墓” と言う事しか覚えていない。
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![]() 漢代長城の址 |
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玉門関 | 白馬塔 | |
![]() 敦煌駅 |
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このあと敦煌からトルファンまで夜行寝台列車で移動する。砂漠の道には堪能したが、敦煌駅まではさらに約1時間半走った郊外だ
列車は意外と綺麗で、4人の個室、2段ベッド構成、日本のA寝台と言う感じ 夜の19:41分敦煌駅を出発、外は真っ暗の砂漠の中、当然何の明かりも見えない、景色を楽しむ事もなくベッドに横になるが揺れのため寝付く事は出来なかった。
翌朝、列車はウルムチ行きのため途中下車と言う事で起床は4時半、まだ暗い5時14分トルファンに到着、思っていたほど寒くなくホッとする。トルファンの市内まで約50Km、また暗い砂漠をバスで進む、ホテルに到着して暫らくの休息後観光へ
トルファン
トルファンの街は標高50mぐらいの低い盆地、朝晩の気温差が激しく夏は49℃、冬はマイナス30℃を記録した事があるそうだ。しかし今回は丁度良い観光シーズン、風も少なく気温も快適、雨はまったく降らない。
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ベゼクリ千仏堂 | 火焔山 |
火焔山のムルゥトク河の断崖に作られた石窟寺院で、ベゼクリとはウイグル語で「装飾された家」と言う意味。かつて壁画や仏像が存在したが、外国の探検家達に持ち去られたり、イスラム教徒に仏像の顔をつぶされたり、文化革命時壁画に泥を塗られて破壊が激しい。火焔山は高さ500mぐらいの砂山で赤い山肌が炎のように見えるのでその名がついた。また三蔵法師と孫悟空の話で有名な山でもある。途中孫悟空のテーマパークみたいなものがあったけれど立ち寄らなかった。
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西域イスラム寺院 | アスターナ古墳群 |
19779年に造られたイスラム建築のミナレットは高さ44mの綺麗な塔で壁面は幾何学模様で埋め尽くされている。いよいよこの辺からミイラが現れる。アスターナ古墳群では高昌国の貴族が葬られている墓で約500基もある。一部は公開されており壁画とミイラを見ることが出来る。夫婦が同じ墓に葬られているけれど、当然埋葬時期はずれていて、再度後者のために墓を開くらしい。さすが乾燥地帯ミイラもビックリするほど保存状態がよく、なぜか死者を見ている感じはしないのは不思議。
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高昌故城 | 交河故城 |
499年高昌国の漢人によって作られたが玄奘三蔵がインドから帰国した時(640年)には唐によって滅ぼされていた。今は日干し煉瓦の山としか思えない。交河故城は東西を河に囲まれた地形から交河故城と呼ばれる。シルクロードの天山南路における城郭都市として栄えた。今は高昌故城と同じ広い日干し煉瓦のかたまり
![]() カレーズ地下水路 |
![]() 天山山脈から流れる伏流水をオアシスに引く地下水路で、高さ1.5m,幅60cm、長さ3〜4Kmのものが多い。中国では万里の長城、大運河と並ぶ古代三大土木工事と言われている。 |
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道の上にもぶどう棚があるほどぶどう栽培が盛ん、特に干しぶどうは名産品で種類も多く選ぶのが難しい。写真の穴の空いた建物はぶどうを乾燥させるためのもので、いたるところにある。それほどぶどうがたくさん取れ、値段も安いが品質による価格差は10倍以上もあり我々には試食しても区別がつかない。ということは買うのが難しい
翌日は万年雪を頂く天山山脈を見ながら、砂漠に作られた高速道路を使ってウルムチを目指す。前日の道路を思い出し、嫌な感じをしたが高速道路というだけあって快適であった。
どうしてこんな立派な道が出来たのだろうかと思ったら、なんとウルムチでは中国の約50%の石油が算出する事が分かった。豊かな都市なのだ。高速道路の左右には風力発電機がたくさん設置されていて、風が強い地域である事を表していた。
ウルムチ
中国は東西に広く大きな国であるが、時間はすべて北京時間(日本とは1時間の時差)であるため、さすがにウルムチまで西に来ると違和感がある。朝7時ではまだ暗く、この地域の朝食は9時か10時だそうだ。北京時間と約2時間の時差があっても不思議はない。シルクロード西のオアシスとして栄えたウルムチは、現在大きなビルが立ち並ぶ大都市もすべて石油のお陰だ。
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天池 ウルムチから東に110Km天山ボゴダ峰の山中にある湖。神の池、天の鏡という意味で天池と呼ばれている。標高の高いところにあるため夏はリゾート地として利用されている。我々はバスで近くまで登ったが途中ゴンドラが設置されていて、それで登る事も出来る。 ![]() 道端では怪しげな薬草(人参、サルノコシカケ)が売られていた |
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登山用のゴンドラ | 宿泊用のパオ |
新彊ウイグル自治区博物館では有名な楼蘭の美女ミイラが展示されていた。現在博物館が新築工事中のため仮展示場であったが、いとも簡単に身近で見ることが出来、その他多くのミイラ(赤ちゃん、子供、西洋人など約10体)もあって、本当にこんな展示で保存は大丈夫と思われるほど簡単であった。それほどいつも乾燥しているのだろう、日本では考えられない。もっとビックリしたのは展示を説明してくれるガイドさんは博物館の職員、説明が終わると同じ展示場の部屋を簡単に仕切ったコーナーに案内して、そこでお土産を売っていた。どちらが本業なんだろうか?
どの国に行ってもバザールでの買物は楽しいもの。このウルムチでは日常生活のすべてのものが安く手に入る。例によって干しぶどうや果物、それに野菜、豚の頭や足などなど
ホテルの近くには市民公園があったので朝出かけてみた。入場するのに市民は無料であったが、外国人はしっかりと入場料を取られた(どうして日本人だと分かったのかな?)。中では太極拳や刀を持った踊り、社交ダンスなどが行われていたので、ちょっと真似事をしてみた。獅子の背中に足を乗せているおばさんがいたので一緒にやってみたがとても真っ直ぐには上がらなかった
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バザール | 市民公園にて |
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シルクロード観光記
1.中国は広い国、いろんな部族と言葉や料理の違いに改めてビックリ
2.例によってお土産は値段交渉が大変、本当の価値はまったく分からない。千円札が使える
3.中国元への交換は日本より北京でする方が有利 といっても大した違いはないが
4.砂漠の気候は本当に厳しい。日本のように湿度が高くないので肌はかさかさ、口の中は砂埃
5.今回の旅は移動距離が長く、気候差もあって体調管理に苦労した
6.トイレ事情が悪いと聞いていたが、やはりホテル以外は女性にとって大変な事
7.料理は香辛料がきついのでどうしてもお腹に入っていかない。ホテルの朝食だけが頼り
8.古い時代の遺跡を保存するのはお金がかかる。このシルクロードはいつまでもつのだろうか
9.夜行寝台車はやはり眠れなく疲れる。できることなら避けたい気持ち 、でも中国にしては豪華?
10.ウルムチが大都市だったのにはチョット驚き(失礼)
11.何処に行っても絨毯工場に案内され大切な時間を使う、ツアー旅行の悲しい所
12.英語はまったく通じない、列車の車掌といえどもまったく反応なし。ましてや売店は全然
13.ちょっとしたお土産さんに行くと立派な日本語が通じる。やはりお金にカラムと違うものだ
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