ペルー全周遊9日間            2004年6月23日〜7月2日

1日目 関空 17:30発 日本航空060便  
       ロサンゼルス着11:55 時差17時間 所要時間約10時間
     ロサンゼルス 14:10発 ランチリ航空
       リマ着00:35 時差3時間  所要時間約8時間20分
2日目 10:00 リマ発 アエロコンチネンテ航空 クスコ着11:10 
      クスコ市内 サクサイワマン城塞跡で太陽の祭りを観光
3日目 高原列車でウルバンバ渓谷を進み、バスで空中遺跡マチュピチュへ
4日目 クスコ市内観光
      アルマス広場、太陽の神殿、タンボマチャイ
      バスでクスコからプーノへ 途中シルスタニ遺跡観光
5日目 チチカカ湖でウロス島観光後 
      14:45 フリアカ発 アエロコンチネンテ航空  リマ着17:00 
6日目 リマ市内観光
      天野博物館、アルマス広場、カテドラル、サンフランシスコ寺院
7日目 バスでイカからナスカへ  セスナ機で地上絵観光後リマへ
8日目 リマ 01:05発 ランチリ航空  ロサンゼルス着07:40
        所要時間約8時間35分
      13:50発ロサンゼルス 日本航空069便  
9日目 関空着17:50  所要時間約11時間30分

ペルーの時差14時間 現地の6月は季節的には初冬で少し肌寒い(約20℃)
出発の前日22日は非常に大きな強い台風6号が通過して、飛行機が欠航になるのではとひやひやしていました。何とか無事出発でき、いざペルーへ・・・・
アメリカまでは日本航空なのでちょっとリラックス、何しろ10時間映画を見るか、寝るしかないのだが初日からはなかなか寝付けない。
出発に少しの遅れがあり、ロサンゼルスでの乗り継ぎでは非常に焦ってしまった。何しろ最近の厳しい検査で乗り継ぎでも、一旦入国審査を受けなければならないため、手荷物の受取と預け、アメリカからの出国審査とめまぐるしく動き回っての飛行機搭乗、ようやくペルーリマへ到着したときにはすでに0時を回って、また入国審査等があってホテルに入ったのは2時を回っていた。



クスコ

ホテルで約2時間の睡眠後、リマからクスコへ飛行機に乗るため再びリマ空港へ  9時飛行場に着いてビックリ、クスコの天候が悪いため出発できないとのこと。我々より先に出発していたリマ発6時のクスコ行きは着陸できなくて、引き返してリマ空港に帰っていた。待つこと1時間ようやく回復して先発組みと一緒に搭乗へ 飛行機は懐かしいボーイング727  いまだにこの飛行機が飛んでいたのかとビックリするやら不安になるやら
ようやくクスコに着陸、クスコは標高3360mの高地にあるため空港内では気温が低く、頭は痛く少し息苦しい、それに食欲も今ひとつ。いきなり高地に来たせいで軽い高山病の症状がすでに始まっている。

サクサイワマン城塞跡と太陽の祭り

今日24日は南米3大祭りのひとつで、1年に一度開かれる「インティ・ライミー(太陽のお祭り)」。これを見るため会場のサクサイワマン遺跡には世界から観光客が集まっていて、会場に到着した頃にはすでに始まっていた。我々は指定された桟敷席にようやくたどり着き、ゆっくり鑑賞する事が出来た。インティとは太陽の意味でとうもろこしから作った酒を太陽に捧げる儀式だがインカ時代には農民の休息の日でもあった、赤、黄、紫など原色を多く使った民族衣装で会場はいっぱい、踊りや意味のよく分からない叫びなどがあって式は進んでいった。途中で小雨が降ってきてチョット心配したがすぐにやみ、後には綺麗な虹が現れ一段とその華やかさを演出してくれた。
サクサイワマン遺跡は3層に巨石を積み重ねた巨大な要塞後でインカ時代に1日3万人が80年かかって作り上げられたとも言われている。この広い会場に多くの人が集まってきて足の踏み場も無いくらい。皆楽しんでいるのだろうと思っていたが、ちゃっかり商売をしている人も多く 民族衣装を着た親子がかわいいリャマ(家畜であるが南米に多く生息)を連れてきて、観光客が写真を撮ろうとするとお金を要求するなど


太陽の祭りでの踊り

虹がかかった会場

サクサイワマン遺跡の巨石城塞をバックに

行事が終了した後のごったがえす観客と出演者


太陽の神殿
カミソリの刃一つ通さない程隙間の少ない精巧な石組の上に作られたサント・ドミンゴ教会。

インカ帝国時代は太陽の神殿といわれていた、当時は金で出来た石、等身大のリャマを連れた人間像などがあったがスペイン人にすべて奪われ、現在はその石組みの上に教会が作られている。この日は小学生達が勉強に来ており、公用語のひとつであるケチュア語を話す人から中庭で歴史などを勉強していた。(これは単なる想像)

タンボ・マチャイ
インカ時代の沐浴場といわれている。
この水は何処から流れてくるのか分かっていないが、近くにサクサイワマン城塞跡があることから多くの人が利用したものと思われる。この水を飲むと結婚できるとか、子供が授かるとか、ともいわれ、現地の人たちは現在でも利用者が絶えないらしい。とても飲む気にはなれないが

キリスト像
クスコの町を見下ろす高台にはブラジルの1/5の大きさでレプリカ像が設置されている。クスコの人たちがお世話になったキリスト教に感謝する意味で作ったとか



マチュピチュ
標高の高いクスコに飛行機で着いた時は少し頭痛のした高山病も、一晩寝た翌朝は非常に辛く、さらに吐き気が加わって、これがそうなのかと思い知らされた。早朝高原列車に乗ってマチュピチュへ
曲がりくねった山道をスイッチバック方式でゆっくりと登っていく列車。お世辞にも綺麗とはいえない列車で、暖房は無く隙間風は遠慮なく入ってくる。標高の高いせいか気温は低く何枚も重ね着をしているがあまり効果は無い。その上よく揺れ乗り心地も悪い、まあこんなものと思って我慢していた。(使い捨てカイロを持参するとよかったかな) どうやら豪華なビスタドームとバックパッカー用の2種類が合って我々は後者のようであった。ツアーだから当然か

途中標高3486mのポロイ駅で停車、クスコから約18Km、マチュピチュまで93Kmの地点である。ここまで約1時間、最初は山を登っていたがクスコより標高の低いマチュピチュに向かって山を下っていく、ウルバンバ渓谷に沿って残り約3時間の長旅である。終点マチュピチュの駅は両側に並ぶお土産屋さんの中でホームなど存在しない。ここからはバスで約20分、道幅の狭い山道を登っていくと遺跡の入口であった。


バスで到着したところは標高2280m、クスコより約1500mも低く高山病も回復していたのと、よく晴れていたので暖かさを感じる。遺跡入口から少し登った所で急に視界が開け、テレビやガイドブックによく出てくるマチュピチュの風景が現れると感激するのみである。改めてその素晴らしさを堪能してしまった。この遺跡は周囲は断崖の山の頂上にあり、周囲も尖った山が連なる場所に作られている。従って下からは見えず空中からしか存在を確認できない事から”空中都市”と呼ばれている。周囲には段々畑があってそこで暮らす人たちの食料となるじゃがいもやとうもろこしが栽培されていたという。その広さから暮らしていたのは300人ぐらいではと推定されているが定かではない。発見後の管理が行き届いていて、本当に素晴らしい遺跡である。

マチュピチュとは”老いた峰”という意味だそうで、発見当時”ここは何処だ”と尋ねたとき、現地の人が反対側にある山(マチュピチュ)を答えたので、それ以降この遺跡にマチュピチュという名前が付いたとか。スペイン人に追われたインカの人々は何処に行ってしまったのか、歴史に疎い私でも興味が一段と増してきたように思う。ちなみに遺跡の後方にある山はワイナピチュ(若い峰)と呼ばれる

遺跡内を全部観光するには約2時間が必要。いろんな行事が行われた場所でその構造と技術の高さに感心するのみ


周囲は断崖

遺跡の中で住居跡

リャマがのんびりと遊んでいる



チチカカ湖
マチュピチュで高山病がチョット回復したのもつかの間、その日の宿泊はクスコに戻ったのでまた息苦しい。帰りの列車は途中のポロイ駅まで、そこからはバスに乗り換えてホテルへ、なんとポロイ駅から列車では1時間であったがバスでは20分、やはり道が整備されたのだろう。それに今日はさらに高度が高くなるプーノ(標高3855m)へバス移動、日本の富士山より高いところである。どの国に行ってもそうだが移動には時間がかかるが、今回は近くの山々には雪がある高地でのバスという事でやはり辛いものがある。

シルスタニ遺跡
途中標高4335mの峠を越えてのバス旅、インカ時代の王族の墓であるシルスタニ遺跡にも立ち寄った。約4000mの高地でちょっと山登り、いやはや大変であった。ツアーの一行で遺跡見学に行かずバス内で待機する人も出てきたが何とか頑張って見学に出かけた。円筒形に詰まれた巨石のなかに遺体が埋葬されたとか  この石も崩れないように石相互間に凹凸の噛み合せを設けて工夫されているのはインカの技術であった。
標高4335mの峠  

チチカカ湖
海抜約3800mの高地に琵琶湖の約12倍という大きさの湖、しかもその湖にはペルーとボリビアの国境がある、なんともスケールの大きな湖だ。プーノよりモーターボートでウロス島へ約30分、島といってもトトラという葦で作られた浮島で大きなものでは約300人が暮らせる大きさのものもある。葦の長さは約3mの深さまで沈んでいて、乗った感じはふわっとしている。下のほうが腐ってくると上にトトラを積み重ねて補修する簡単な方法だ。トトラは食料、家畜のえさ、バルサという船を作ったりなど利用価値は高い。左の船には約20人が乗っても大丈夫であった。住人は観光で生計を立てておりお土産屋さんが並ぶ、島に上陸すると子供達が集まってきてパンやお菓子、果物などをあげると非常に喜ぶ。子供も生活の上ではなくてはならない存在だ。驚きは家の側にソーラー発電の太陽電池が立ち、結構文化的な生活ぶりであった。


トトラで作った船

住居とお土産屋さん

ウロス島でトトラという葦を食べている


プーノに帰る途中民家に立ち寄り生活ぶりを拝見した。ジャガイモやとうもろこしの試食があって、それなりに美味しいものであったが我々が食べているものとはチョット違っていた。

家畜のリャマも歓迎してくれたが、側に近寄ると怒ったのか口からつばのようなものを吐き出し触らせてくれなかったのは残念であった



リマ
プーノの近くフリアカ空港から空路リマへ  ようやく高山病から開放されほっとひと安心、やはり低地は過ごし易い。
旧市街の中心地アルマス広場の側にはカテドラルが堂々とそびえている。そこから少し離れた場所にサン・フランシスコ教会がある。


カテドラル 

サン・フランシスコ教会

恋人達の公園にあるモニュメントとタイルで作ったベンチ

サンフランシスコ教会の内部は見るものが多い、中でも地下にあるカタコンベ(墓地)は卵の白身と土で作られており、過去に起こった大きな地震にも堪えることが出来たそうだ。近くにある恋人達の公園はスペインのグエル公園を真似て作ったといわれ、小さなタイルが貼り付けられたベンチなどにカップルが楽しそうに過ごしていた。大きなモニュメントにはさすがに南米かなと度肝を抜かれた気がする。
何年か前に人質事件のあったペルー大使公邸もバスの車窓から見学した。当時の建物はすでに撤去され空き地に、ただ入口の門に銃弾の跡が残されていた。新しい公邸は塀が2重になって、その塀の間には深い溝が設置され警備の厳重さが伺えた。やはりまだまだペルーは恐い一面があるのかなとも感じた。




ナスカ
観光拠点イカを早朝5時に出発して地上絵のナスカへバスで移動  イカの天候は曇りで霧雨  地上絵を観光する飛行機が飛んでくれるかどうか心配しながらバスの中では疲れが出て眠ってしまった。

ナスカに到着したが案の定天候不良で観光できないとのこと。暫らく様子を見ることにして待つこと2時間、ようやく晴れてきて飛行機が飛べるようになった。
飛行機はパイロットを含め4人乗りと6人乗り、我々は4人乗りであった。私は操縦席の横に座る事が出来ラッキーであった。
観光時間は約30分、飛行場を飛び立ってまもなくヘッドホンから聞こえるパイロットの”クジラ”という声、下を見るとクジラの絵が見える。といっても余分な線が多くてそれを除いてクジラの全体像を把握するのはかなり難しい。保存されているとはいえ長年の風化で形が劣化しているように思った。
         
            クジラ(Whale)

また飛行機は反対側の人にも見えるように急旋回してもう一度見せてくれるが、これはスリルがあってジェットコースター並であった。カメラで撮影したが光線の方向やガラス越しなどの悪条件で撮影はなかなか難しい。とりあえず比較的分かるものを紹介する。このように写真でははっきりしないが肉眼ではよく見えた。


宇宙人(Astronout)

 猿(Monkey)

手(Hands)

はちどり(Humming Bird)

蜘蛛(Spider)

 観測塔

手の写真で上の方にあるのは故マリア・ライヘ女史が建設した観測塔で側をパンアメリカン・ハイウェイが通っている。地上の降りて観測塔に登ると手や木を見ることが出来、飛行機の上空からとは違った見方が出来る。この観測塔の側にある地上絵で”木”の描かれている線を近くで見ることが出来たが、溝の深さは約10cm、幅20cmぐらいでよくこのまま残っていたものとビックリしている。しかしいずれ消えていく運命にあり保存はどうすれば良いのか考えさせられる。

観光飛行機のエアコンドルでは搭乗した証明書を機長のサイン入りで発行してくれる。

食事
内容的には比較的食べ易いものばかりだし、ホテルではバイキングが多く苦労はない。ただ高山病が大敵でクスコからプーノの間はどんなものでも食べる気がしないのは止むを得ない。また日本食といっておにぎりが出たのは良いけどこれはまったくの期待はずれで、高地のため沸騰しない水で炊き上げたインディカ米のまずさは高山病に加えてどうしようもなかった。写真のご飯は、見た目で丸く形が整っている、けれど一度フォークを入れると山は崩ればらばらになってしまう。ねずみの一種杭(くい)の肉も食べてみたが臭みがありちょっと遠慮したい。帆立貝は結構いける食べ物で味付けも良かった。リャマの肉は牛と豚の中間ぐらいでマアマアのように感じた。この他チチカカ湖では鱒料理も出た。
高山病に効くというコカ茶、効果の程は定かではないが苦しい時のコカ茶頼み、高地にいるときは必ず飲んでいた。デザートは甘いケーキや果物が多く、中でもバナナはおいしい


ビーフとか野菜に杭の肉

リャマの焼肉

ホタテにチーズを載せ焼いたの

肉の野菜いためとご飯

杭(ねずみの一種)の姿焼き

結構美味しかった大きなパン

代表的な動物


良く飼われている3種類の家畜、一番手前がリャマ、その奥に首の細いのがビクーナャ、右端がアルパカ。ビクーニャは乱獲され絶滅が心配されているため特定の島で保護政策が取られている。中でもアルパカの毛は良質でセーターなどに加工され売られている。お土産には最適でお店も多く品揃えが豊富。

杭といって食用になるねずみの一種

保護され飼育されているコンドル
 羽の長さは3m


ペルー旅行の感想
1.世界遺産の遺跡は本当に感動するものばかりでよかった。マチュピチュ、地上絵、太陽の祭りなど
2.高山病は初めて経験したがしんどいもので健康維持には苦労した。体調のいいときでなければ厳しいツアーであった。
3.高速道路が整備されてなく移動に時間を要したのは高地であるという条件が加味されて大変であった。
4.ペルーなのにアメリカドルが何処でも使えて、ペルーに来ているのにアメリカのようであった。従って現地通貨への両替の必要性は無かった
5.日本からはとても遠く、アメリカまで11時間、さらに8時間半乗り継ぎを含めると丸1日飛行機というハードさは時差と共に疲れる元であった
6.現地の人と写真を撮るときはお金が必要なのでシャーターの押すチャンスにためらいがあった
7.朝晩の温度差が激しい上に標高差も加わって、着る物の管理に苦労した。セーターとジャンパーなどは常に持ち歩く必要がある
8.後で知り得た情報だが、クスコから離れた2日後に20年ぶりの大雪が降り、飛行場は閉鎖して観光スケジュールに支障があったらしい
9.お土産は地方に行くほど安く手に入るが、その分品質は落ちるようで気をつけよう。価格は言い値の半分ぐらいが適切かも
10.バスの周りには例によってお土産売りのおばさんが集まってくるが、値段は統一されているみたい
11.治安は回復しているといわれているが夜の外出はしないほうが無難 特にリマは注意
12.高地の朝晩は厚手のセーターが必要なのに、日中は熱いうえに紫外線が強く日焼け止めをしっかり塗らないと数時間で真っ黒
13.日本円はまったく使用できないし、空港でも両替できないので注意
14.高山病対策で入浴はしない、できればシャワーのみ 入浴したくてもホテルではシャワーの設備しかない

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