じっくりモロッコ周遊10日間
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出発 2002年12月11日 10時50分 KLMオランダ航空 868便 1日目 14:55 アムステルダム着 20:25発でカサブランカへ23:00着 ラバトへ 2日目 ラバト市内、タンジール 3日目 ボルビリス、メクネス 4日目 フェズ市内 5日目 アトラス山脈を越えイフラン エルフード 6日目 サハラ砂漠 らくだで日出観光 7日目 ワルサザード 8日目 マラケシュ 9日目 カサブランカ 10日目 カサブランカ 6:45発 オランダ航空 KL3002便でアムステルダムへ 14:05発 KLMオランダ航空867便 関西空港9:05着 |
関空を10:50に定刻出発し、経由地アムステルダムには30分早く着いた。ここから待ち時間約6時間でカサブランカ、さらにバスに乗り換え首都ラバトへ、待ちくたびれたのと飛行機の長旅とでホテルに入ったのは深夜の2時。もうくたくたでシャワーを浴びたら何はともあれベッドに入って眠った。
ラバト(2日目)
![]() 王宮 |
モロッコは王国である。王様の宮殿はいたるところに存在していて、手始めは首都ラバト 見学はもちろん門の近くまでであるが、警備の人は地元警察・王様近衛兵・軍隊と3種類の警護兵が同時にいてなんとも厳重である。門の近くによって写真を撮ろうとしたら追い払われた。 左から近衛兵、地元警察、右端が軍隊 ![]() |
![]() モハメッド5世の廟 |
![]() 門兵 |
![]() 廟の中 |
![]() ハッサンの塔 |
フランスからモロッコの独立を勝ち取った国王モハメッド5世の霊廟は、すごく豪華。前国王ハッサン2世、彼の弟ムーレイアブドォラー王子の棺と一緒に衛兵に守られて静かに眠っている。同じ敷地内には未完のミナレット(ハッサンの塔)がある。本当は88mの高さになるはずであったが、44mの高さで終わっている。それでも世界第3位を誇っており、昔は登ることができたらしい。また残っている柱は360本もありこの寺院の大きさが想像できる。
カスバは17世紀に造られた城塞で、18世紀に気性の荒いウダイヤの軍隊を駐屯させたことからついた名前。この近くにウダイヤ庭園があり、そこにちょっとしたカフェでミント茶とクッキーが楽しめる。初めてモロッコ通貨ディラハム(DH)を使った。ミント茶10DH、クッキー7DHとガイドの言うとおり払ったのは、後で考えてどうもぼられたような気がする。
![]() ウダイヤのカスバ |
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タンジール
![]() スパルテル岬 |
![]() ヘラクレスの洞穴 |
ヴォルビリス(3日目)
モロッコに存在するローマ遺跡、イスラム世界で昔キリスト教が栄えた証でもある。イタリアやスペインでも数多く残っているが、ここも負けないくらいきれいに保存されている。立ち並ぶ左端の柱を見ると、てっぺんにコウノトリが巣を作っている。街中でも高いところに巣を作っていて、大きな鳥を見ることができた。公共広場や浴場などにはモザイク画があり、きれいに修復されている。
![]() 凱旋門 |
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![]() モザイク画 |
メクネス
ムーレイ・イスマイルがヴェルサイユ宮殿に対抗して豪華な王国を造ろうと、多くの城壁や門、モスクを造った町である。中でもマンスール門は大きさときれいさで圧倒している。キリスト教徒であったマンスールがイスラム教に改宗して設計したのでその名前がついたとか。マンスール・エルアールジュ門(改宗者の勝利の門)とも言われている。
![]() マンスール門全景 |
![]() マンスール門拡大 |
![]() 廟内部 |
ムーレイ・イスマイル廟は世界遺産にも登録されているきれいな建造物で、中はモザイクや漆喰の飾りで目を見張る。
![]() ムーレイ・イスマイル廟の入り口 |
![]() メクネスを観光するときに使われる馬車 |
![]() 城壁が長く続いている街中 |
フェズ(4日目)
迷路の街フェズは世界一といわれるほど入り組んでいる。ブー・ジュールド門をくぐりメディナに一歩踏み込むと、あいにくの小雨であったため、ぬかるんだ狭い道は歩くのに気を使って大変であった。大勢の人が行き交い、ロバは大きな荷物を背中に乗せて平然と通り過ぎる。
![]() ブー・ジュールド門 |
![]() 鍋職人 |
![]() 幼稚園 |
![]() 革製品のお店 |
![]() 皮を運ぶロバ |
![]() ジュラバのお店 |
![]() なめし皮を染色する |
メディナの中にはいろんなお店が並んでいる。ガイドが案内してくれたのは革製品のお店、入口でミントの葉を渡される。何に使うのかと思っていたが、どうやら皮のいやなにおいを消すためらしい。お世辞にも買いたいと思うようなものは見つからない、このお店のベランダからなめし皮を染色している壷が見えた。平然と見ていたが何かすごいものを見てしまったように思う。
昼食はモロッコ名物クスクスであった。前菜としていろんな野菜に味付けをしたものが出て、その後で祖粒状の小麦を下にして野菜や鶏肉と一緒に蒸されたクスクスが出てきた。味付けは何種類ものスパイスが加わって、ちょっとだけならおいしい食べ物、でも多くはごちそうさまという感じ。お口直しに入れ方の実演をした後にミントティーをいただく
![]() ![]() ラバトにもあったがフェズにも立派な王宮がある。門は金箔が貼ってあり、 見るからに豪華そのもの |
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![]() アッタリン神学校の入口 アッタリン神学校は14世紀に建てられた、中庭には大理石の噴水、壁などに彫刻が施されてとてもきれいである |
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![]() 化石の置物 モロッコも例外ではなくトイレを利用するにはどこかのお店で借りるしかない。この日は陶器の工場を見学しお店に寄るという 足で回すろくろを使って器用に食器を作っていた。また化石が入った岩を掘り出し、中の化石をきれいに磨いて飾り物にする工程も見学した |
イフラン(5日目)
フェズからアトラス山脈を越えてエルフードへ 曲がりくねった山道をほとんど1日バスに乗っていた
途中オアシス都市イフランで休憩したり、峠の最高峰2178mで写真休憩、またどこからともなく現れる羊の放牧民と出会ったり(出会うというよりすでに写真用の衣装を身につけ待っていたようである。写真を撮るとしっかり5DH要求された)で特に観光する場所もなく過ぎたが、大きな木のないモロッコで数百年経つ杉の木の原野を堪能したように思う
エルフード(6日目)
モロッコ旅行でもっとも楽しみであったメルズーカの大砂丘を、らくだに乗って日出を見に行った。
朝4時起床、5時4WDの車に乗って出発。車は砂漠の砂地の中を約1時間走る、その間周りは真っ黒であるし、道があるようでもない。いったい何を目標に走っているのかまったくわからないが、ドライバーはちゃんとわかっているのだろう、目的地に時間通り着いた。着いたところで、そこからはらくだに乗って約20分、まだまだ暗い中ゆっくりと進んでいく。らくだの乗り心地はまあまあ。コツはあぶみがないので、足をらくだのおなかにしっかりとはさむようにすると安定して乗ることができる。らくだでも行けない最後の小山は歩いて登る、これがまた急斜面で砂に足を取られながらやっとのおもいで尾根に到着。寒いなか日の出を待つこと20分、現地ガイド(ベルベル人といっていたが英語が話せるので今度くるときは4日間の砂漠ツアーに参加してくれと勧められた)がターバンを巻いてくれたお陰で寒さが和らいだ。砂山の上に太陽が顔を出してきて感激。帰り道は明るくなって、こんなところを来たのかと感心しながら、らくだと4WDで帰ってきた。
ホテルに帰ってから朝食、その後トドラ渓谷へ出発
モロッコではこのような渓谷が少なく、外国からもロッククライミングの練習にやってくるほど急な岩山である。当日も山の中腹にへばりつくように登っていた人を見た。
昼食はプロシェット(羊の肉を炭火で焼いた串焼き)で結構おいしいものであった。
カスバとは城壁で囲まれた家という意味で、カスバ街道と呼ばれている地域には大小あわせて1000個以上のカスバがあるといわれている。この写真は比較的大きなもので保存状態もよく、中では今も生活をしている。
ワルサザード
![]() アイト・ベン・ハッドゥ |
![]() 馬の渡し |
![]() 住居の中の応接間 |
世界遺産に登録されたアイト・ベン・ハッドウに、今でも住んでいるお宅を見学させてもらう。ここでハプニング最近の雨で川が増水して、架かっていた橋が流され徒歩で渡れない。そこでロバや馬で渡しをしていた。当然有料(往復10DH)であるが、初めて乗る人がほとんどで大騒ぎ。何とか全員無事わたることができた。私は乗馬していたお陰で背の低いロバではなく馬を選択し、悠々と渡らせてもらった。
日干しレンガで出来上がっている旧要塞の村である。現在ここにはベルベル人の数家族が生活していて、家の中は思ったより近代化していているのにはびっくりさせられた。ガスレンジ、テレビがありで・・・・・・
また「アラビアのロレンス」、「ナイルの宝石」など映画のロケ地として使われたのでも有名。
マラケシュ
![]() 昼間のジャマ・エル・フナ広場 |
![]() 夜の広場を上から |
到着時間が遅くなってしまい、おまけに小雨がぱらついてきてしまった。その日はジャマ・エル・フナ広場を一周して踊りや楽器演奏など見学、2階にある喫茶店でお茶を飲みながら上から広場を見学することにした。翌日朝一番に行ってみたが、残念ながらパフォーマンスをする人は少なく蛇使いが数人でこれから開こうと準備しているぐらいであった。夜景に写っているのは現地人になってしまった添乗員、そのまま歩いていてもまったく違和感を感じさせない服装である。マラケシュにあるスークは世界最大とも言われている
ファンタジア騎馬ショー
ショーが始まるまで食事をしていると、いろんな部族の人が違った衣装で各テーブルを歌いながら回って来る。その後馬場に出て、疾走する馬に乗っていろんな妙技を見せてくれるショーである。時々7頭の馬が横一列になり、疾走してきてはバロウドと呼ばれる銃をいっせいに撃ち放つ(この音がものすごく大きい、乗馬している私にとってよく馬が驚かないものだと感心した)夜10時とかなり遅い時間であったため、照明に照らされてはいるが馬場は暗く騎乗している人の熟練技にただびっくりしていた。
クトゥピア(左) 高さ65mのミナレットで世界第2位の高さを誇っているマラケシュのシンボル
アグノウ門(右) アーチの周囲は赤と緑の砂岩で馬蹄形や半円形の繰り込み模様で縁取られ、その上の壁にはコーランの詞の装飾文字が刻まれている
カサブランカ
マラケシュの観光が長引いたため到着が遅くなり、日が暮れてしまった。最初は映画カサブランカの舞台となったカフェに行った。場所はホテルハイアットリージェンシーの中で映画のシーンを再現している。
ムハンマド5世広場に行ったが周りが暗く全体の印象がつかめなかった。しかし経済の中心といわれるだけあってにぎやかな街の様子はうかがえた。
右のハッサン2世モスクはモロッコ最大のモスクで、内部には2万5千人が収容できる広さがある。ミナレットの高さは200mで世界一の高さを誇っている。ハッサン2世はこのモスクをモロッコの自由の女神のような存在にするため国民の寄付金と税金で建設されたという。確かに太平洋の海に浮かび上がっている姿は非常に近いものがある。昼間より夜のライトアップされたモスクが一番美しく見えるそうだ。
モロッコを出発する最後の日は3時起床のホテル4時出発。空港到着は4時半、夜明けはまだまだで長旅の疲れも重なって眠いの一言。記念に撮った空港のアラビヤ文字を最後に、売店も開いていない空港で飛行機に搭乗するまで時間をつぶした
モロッコの旅行記
1.12月下旬でも昼間はあまり寒くなく過ごしやすい。ただ日が短いのは観光するのに少し不利
2.世界遺産に登録された観光地はたくさんあるが、離れた位置にあるためバスでの移動が大変(全観光地周遊で約1200Kmは最後にドライバーから聞いた話)
3.アラブ諸国特有の有料トイレ(1DH)とチップ要求には相変わらず驚く(紙がなくバケツに入った水にもびっくり)
4.観光地で現地の人やロバなどの写真をとるとお金を(5DH)を要求される。大道芸人やパフォーマンスをしている人は当然だが
5.食事は案の定、香辛料が強くてあまり多くは食べれない。またホテルの朝食はパンと飲み物だけとやや不満
6.ホテルの設備はいまいち、お湯が出ない、シャンプーがないなどなど
7.お土産品はこれといったものはない。また値段はまったく表示されていない、ホテルの売店といえども同じ。値引き交渉は当たり前、言い値の約6割ぐらいが大体買値に落ち着く。しかしうっかりするとつかまされることが多い、同じ商品を200DHで買った人もいれば40DHで買った人もいる
8.エジプトと同じでバスの周辺にはちょっとしたものを千円で売りにくる。最初は3個千円で始まるが、バスが出発するころには6個千円になる。(千円札が使える)
9.地方に行くとお世辞にも良いとは言えない家があるが、そんな屋根にパラボラアンテナ。なんとも不釣合いな感じである
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