フランス

         

6月27日 成田10:00発 JAL415便 パリ15:30着
          所要12時間30分 時差7時間遅れ
   28日 シャルトル ノートルダム大聖堂(シャルトル
       ロワール  シャンボール城 シュノンソー城

   29日 モンサルミッシェル修道院

   30日 オンフルール サント・カトリーヌ教会  旧港
       ルーアン ノートルダム大聖堂(ルーアン マルシェ広場

 7月1日 ベルサイユ宮殿
       パリ市内 エッフェル塔、コンコルド広場、オペラ座
           シャンゼリゼ通り、凱旋門、モンマルトルの丘
           セーヌ河クルーズ

    2日 ルーブル美術館

    3日 パリ17:45発 JAL416便  成田12:35着
           所要11時間50分

今回は成田からJALを使った直行便でパリのドゴール空港へ行く。日本の航空会社でしかもエコノミーなのに個人別TVが付いている。これで長時間の機内も随分過ごしやすかった。
  

到着した日は15時30分で時間的にも比較的早く、それに夏至近くと高緯度のため夜暗くなるのが9時半と観光には好条件であった。早速地下鉄に乗ってパリの中心部に出かけるが、初めての経験ばかりで思うようには進まない。地下鉄の料金は1.4ユーロ均一、買い方は自動販売機だが日本のようにお金を入れて行き先駅名をボタンで押すような簡単なものではない。しかもフランス語しか表示されていない。結局あきらめて窓口で購入する事にしたが、ここでも硬貨しか使えない。日本から来て紙幣しか持っていない人はどうするのだろう?。私は前回の旅行で余った硬貨を持っていたからなんとか購入できた。乗り方は切符を自動改札機に入れて出てきた切符を取る。これで改札機を通れると思ったが、前の回転棒はじっとして何の変化も無い。人が押して初めて開く仕組みのためらしい。そこを通ってホームへ、ホームには隣の駅名が書いていないので進む方向は終着駅名で判断する。ということはあらかじめ路線図と終着駅名を理解していないと乗れないことになっている。無事進行方向の電車に乗っても車内アナウンスは無いし隣の駅名表示も常に分からないので路線図は手放せない。目的の駅につくと電車のドアーは自動で開かない。ドアについているボタンを押して初めて開くシステム。なんと不便な電車だこと.。というより日本が便利すぎるのかもしれないが。

ノートルダム大聖堂
シャルトルに13世紀初頭再建された代表的なゴシック建築。聖母マリアを捧げられた大聖堂はすべてノートルダムと名が付いているため、いろんな場所にノートルダムが存在する。内部にある172窓のステンドグラスはシャルトルブルーといわれる幻想的な青い透過光がとても綺麗である。
左側がゴシック様式、右側がロマネスク様式の鐘塔で約300年の隔たりがあるため高さや形も異なる珍しい建築だ。正面入口上には四福音史家をそれぞれ象徴する動物に囲まれたキリストが座し、西側入口にはリアルなゴシック様式の円柱人彫刻像がある

シャンボール城

フランソワ1世が狩猟のために造った城で、1519年に着工し1658年に完成、実に138年もの歳月を費やしたイタリアルネッサンス建築である。この城の素案はレオナルド・ダ・ヴィンチとも言われており、幅156m、高さ56m、77の階段、426の部屋と282の暖炉、14の大階段がある。最大の特徴は二重のラセン階段。上る人と下る人がすれ違わないように設計されている。
壁にかかったタペストリー

左右シンメトリックな外観 外から見たラセン階段 最上階から見た中庭

狩猟を愛してこの地に建築を始めたフランソワ1世が32年間の統治生活でシャンボールで過ごした日数はわずか72日。1547年主塔と王室が完成した時、彼は城の完成を見ることなく死去。以後息子のアンリ2世とルイ14世の2人が完成させた。現在はフランス国有の財産となり国が管理している。


シュノンソー
ロワール河の支流シェール川上に作られたお城で、1513〜1521年にかけて王の財政出納官を務めていたボイエによって建設された。この城はボイエの妻カトリーヌ・プリソネを筆頭に、何代にもわたって女性が城主になっている。特にアンリ2世の正妻と愛人が繰り広げた熾烈な確執の歴史も有名。その跡が城を出た左右に造られている庭園が物語っている。写真の手前が正妻、向こう側が愛人の作品だ。現在は実業家ムニエが買い取った個人所有の城であるため、しっかりと整備され案内パンフレットも詳しく綺麗なものになっている。
ルイ14世の肖像画             入場券
 

入口に続く並木道 右側面 左側面とマルクの塔 礼拝堂

モンサルミッシェル修道院

708年司教のオベールが夢の中で大天使ミカエル(ミッシェル)の「岩山の上に礼拝堂を建てなさい」というお告げを聞いた。そして礼拝堂が完成後聖地となったこの地に多くの巡礼者が訪れるようになった。フランス革命後は監獄に利用されることもあったが、再び修道院として復活し、途中何度も増改築が繰り返されて現在に至っている。
1870年までは島であったが、道路で陸続きとなり満潮時は離島になる事も無くなった。それまでは巡礼者が帰路、速過ぎる満潮(馬が走るほどの速さ)に流されて命を失う事もあった。しかしこの道路のために砂が堆積し、島の周辺が海水に覆われる事も少なくなった。
島の入口に入るとホテルやお土産店がならぶメイン道りになるが、意外と狭い道は観光客でごった返している。

増改築による変化を模型で見ることが出来る。

8世紀初め僧院として 13世紀ゴシック建築の教会増築 15世紀百年戦争で刑務所にも 19世紀道路も出来現在に至る
 
ミカエルは死者を導き、最後
の審判を迎えた日の魂を癒
すとされていた
地上から上の階に食物など品物を引き上げるための設備で
上の階には大きな車があってそれを回転させロープを引っ張り
上げる構造になっている
名物の大型スフレ状オムレツを
食べさせてくれるレストラン
ジャンヌダルク像が入口を
見張っている
修道院の一番高いところには
金メッキのミカエル像が設置
 修道院の西側テラスから見た駐車場
 道路をはさんで両側に海が見える
庭園の周囲は列柱廊で祝祭日には
礼拝の行進が行われる

サント・カトリーヌ教会
15〜16世紀に建てられた木造の教会。港の近くのため船大工が多く、その技術を駆使して建築されただけあって、屋根は船を逆さまにした形の構造である。鐘楼は別棟にある。中にはやはりきれいなステンドグラスがある。
    

旧港
セーヌ河口にある旧港町で、ノルマンディ様式の木造建築を印象派の画家達がこぞって描いた町並みが綺麗。遠くにサント・カトリーヌ教会の鐘楼が見える中、子供の遊戯施設としてなぜかメリーゴーランドだけが廻っている不思議な取り合わせ。
  

運良く当日は土曜日であったので朝市が開かれていた。ソーセージ、エビのフライ、果物、チーズ、イチゴ、パンなどの食品。それに靴や服など日用品も豊富にそろっていた。


ソーセージ

エビフライ

果物

チーズ

イチゴ

パン

ノートルダム大聖堂(ルーアン)
ジャンヌダルクが処刑された町として有名なルーアンはモネが描いたノートルダム大聖堂がある。周辺にはフランボワイヤン・ゴシック様式の教会がある。フランボワイヤンとは炎を意味しているが、まさしく炎の形をした尖塔装飾はすばらしい。


この周辺が中心部で道幅を狭くしないで、有効に空間を利用するために上階に行くほど道路側にせり出して建築された建物(写真右端)を見受ける。


ジャンヌ・ダルク道りの入り口には、時間を表す短針のみの大きな時計がある。

ノートルダム大聖堂の北側にはノルマンディの王冠と呼ばれる中央の尖塔を持つサントゥーアン教会がある。
 
                                                                                    
ベルサイユ宮殿
フランスといえばパリの南西約20Kmにあるフランス絶対王政時代の宮殿。ルイ14世が莫大な費用と50年の歳月を費やして建設された。左右は対象のバロック様式で3階建ての構造である上、約100万uの広大な庭園も見逃せない。
予想以上の観光客がすでに長い列を作っているが、団体行動のため予約時間が設定されているので比較的スムースに入場できた。しかし手荷物検査がある上、スリなどにも注意しながらの観光で結構疲れる。


  
すべて豪華絢爛は予想していたが、鏡の間を見ると一層そのすごさを感じる。長さ73mの回廊の庭園側では広大な庭園を見渡す事が出来、反対側には578枚の鏡がはめ込まれ、クリスタルのシャンデリア、黄金の燭台がまぶしく輝いている。王妃の居室にはマリー・アントワネットとその子供達の絵が並んでいる。

ルイ14世が1661年に始めた造園は、彼の死後も続き1700年にようやく完成した。排水路、木立、運河、花壇などが配置され、遠近法採用したフランス式庭園の傑作である
 鏡の間から

パリ市内
      
パリ市内の観光を、ひとつはバスに乗って車窓から、もう一つはセーヌ河を観光船でクルーズするという違ったやり方をした。
上の図で中央にあるアルマ橋を出発して、右に進みオルセー美術館からノートルダム大聖堂経由してルーブル美術館、コンコルド広場、自由の女神、エッフェル塔、観光船乗り場に戻るというルート。セーヌ河から見る景色は下から眺めるので川岸近くや、大きな建物は良く見えるがちょっと中に入ると見えずらい。従って凱旋門やコンコルド広場はバスで観光することになった。


乗船券

ノートルダム大聖堂

アルマ橋とエッフェル塔

自由の女神

セーヌ河から見上げる
エッフェル塔

クルーズ船

セーヌ河からエッフェル塔

最高裁判所

パリ市内は比較的狭い地域だから効率よく観光できるが、それでも移動に地下鉄を利用すると時間はたっぷりかかる。今回はバスでの車窓と地下鉄、および徒歩移動で出来るだけ多くを廻ったつもりであるが見切れていない感がする。(写真をクリックすると拡大して見れる)

大きな施設
エッフェル塔
コンコルド広場 ムーランルージュ 凱旋門
国会議事堂
ジャンヌダルク像 モンマルトル付近 ケーブルカー
サクレ・クール寺院

大道芸人

似顔絵書き

ルーブル美術館

ルーブル中央

カルーゼル凱旋門

マドレーヌ教会

オペラ座

ヴァンドーム広場
セーヌ河付近 ノートルダム大聖堂
アルマ橋

アンヴァリッド

オルセー美術館

自由の女神
エッフェル塔 フランス革命100周年を記念して1889年に開かれたパリ万博の時に建設された。高さ320mで第1〜3展望台がある
コンコルド広場 エジプトのルクソール神殿から持ってきたオベリスクがそびえたつ広場で凱旋門に直線で続いている。フランス革命後広場にギロチンが設置されルイ16世やマリー・アントワネットが処刑された事でも有名。
凱旋門 この門を中心に道が放射状に広がり、有名なシャンゼリゼ大通りにつながっている。ナポレオンがフランス軍の栄光をたたえるため1806年建設を始めたけれども、完成した1936年にはすでに死亡しており、1940年セント・ヘレナ島から遺骸で帰還し初めて門をくぐり盛大な葬儀が行われた。高さは49.54m、幅44.82mの大きな門。
モンマルトル 丘の上に登るケーブルカーが7月1日から使えるようになった。階段を登らなくてもテルトル広場に着き、そこではイタリアでよく見かける大道芸人がパフォーマンスを演じている。また似顔絵を短時間で書いてくれる絵描きがたくさんいるがガイドによれば下手な人もいて結構高額を要求されるそうだ。今回はパスして眺めるだけにした。サクレ・クール寺院はロマネスク・ビザンチン様式の教会でカトリック教徒の希望の印として建てられた。丘の上からはパリを一望する事が出来る。
ヴァンドーム広場 ナポレオンがオステルリッツの戦いで奪った1250門の大砲を鋳造して高さ44mの記念柱を造った。周囲には高級宝飾店や超一流のホテルが並び、イギリスのダイアナ妃が最後に食事をした場所として知られている。
自由の女神 アメリカの女神は当然として知っているが、その原型がセーヌ川沿いに立っている。結構小ぶりでバックのエッフェル塔に見落としてしまいそうだけれどシンボルである。
ジャンヌダルク像 ジャンヌダルクに関する像や教会を今回はたくさん見ることが出来た。この辺がフランスらしいところかも知れない。ただなぜ市内の交差点に金ピカの像があるのかについては不明である。
ムーランルージュ ロートレックの絵にもよく描かれたキャバレーで19世紀後半に創業した。現在も営業しており風車にネオンがついた頃、フレンチ・カンカンが行われている。
アンヴァリッド 1676年退役傷痍軍人収容のため建設された廃兵院。この教会の地下にナポレオンの墓があり、遺言が刻まれている。

ルーブル美術館
12世紀に城塞として建築されたルーブル宮が美術館になったのはフランス革命後で、1993年に当時のミッテラン大統領が中庭にガラスのピラミッドを作ってから現在に至っている。約30万点のコレクションを持ち、常時2万5千点が展示されているのでとても一日では観光できない。有名な作品をガイドが案内してくれるが、もう一度見ようと思ってもそこに行くことが出来ないし、混雑でままならない。しかも写真が取れるのは彫刻だけで、絵画は見るだけ。モナリザは最も警戒が厳しく(写真撮影禁止を見張っている職員。観光客はスリに注意しながらで大変)周囲に止まっていられる時間は数分、もう世界の何処にも出かけないらしいのでモナリザを見るにはパリに行くしかない。(写真をクリックすると拡大写真が見れる)

屋外の彫刻
瀕死の奴隷

ミロのビーナス

サモトラケのニケ
ルイ14世像
中性の彫刻
サモトラケのニケ ニケとはギリシャ神話で勝利をもたらす有翼の女神のこと。1863年エーゲ海のサモトラケ島で発見された
ミロのビーナス 1820年エーゲ海のミロス島で発見された。両腕の無い姿がより一層美しさを際立たせている。
瀕死の奴隷 ミケランジェロの作品で表情は苦しそうであるが、顔は穏やかで恍惚としている。人間窮地になるとこうなるらしい。

帰路


ドゴール空港を定刻に出発するはずであったが、手荷物を預けた乗客が搭乗をキャンセルしたため、その荷物を降ろすのに手間取り約30分遅れで出発。
しかしこの日は強い偏西風に乗って飛行速度も920Km/hと速く、成田には定刻到着した。


ドゴール空港出発ゲート

ドゴール空港で出発を待っている

離陸直後の空港周辺

知っ得情報
1.トイレ事情
歩道の上に何やら不思議な建物がある。屋根にはトイレの文字が。当然日本には無い景色だからガイドさんに聞くとフランスでは有料と無料の2種類があって、中で居る時間は15分という制限があり、それ以後は自動的にドアーが開き外から丸見えになるので注意が必要とか。そのまま外に出ないでいると、便器はもちろん周囲も水が自動的に流れ、洗浄されて乾燥までしてくれるそうだ。ちなみにレストランや高速道路のサービスエリアでも有料トイレがあって、料金は20セントから1ユーロ。番人がいないところは硬貨を入れてドアーを開ける。
注意として20セントの時には10セント2枚では開かないので、必ず20セント硬貨を用意する事



2.料理
フランスに行ったからには美味しい料理と思っていたが、そこは格安旅行でそんなわけが無い。何処でも食べれる牛と豚、それに鶏と決まりきった料理ばかりであるが、先進国のため安心して食べる事は出来る。ただレストランでは飲み物が高価、水が500cc 4ユーロ(日本円で約700円)。ビール、ワインやジュースも同じくらい。
モンサンミッシェルでは名物といわれるスフレ状オムレツに期待していたが、まったくの期待はずれで薄く延ばした卵焼きに泡立てた卵白が載っているだけの簡素なもの。周りのポテトばかりが目立っていた。
厨房やレストランで働く人は黒人が多い、でも仕事振りはしっかりとして白人より丁寧だ。
フランス料理といえばエスカルゴ、日本に居るカタツムリを想像するが、まったく違う感じでどちらかといえばサザエを小さくしたような味で何の抵抗も無く食べる事が出来る。
ムール貝はあっさりとして非常に食べやすい。最初に食べた後の貝殻をピンセット代わりにして次の貝肉を取り出すとフォークなしで食べる事が出来る。


豚肉

大きなワッフル

牛肉とジャガイモ

ムール貝

オムレツ

エスカルゴ


大きなクレープ

サーモン

豚肉

鶏肉

朝食

3.道路

清掃
パリ市内では道路の清掃のため歩道
と車道の境界部分に水の出口があっ
て、そこから定期的に水が出てくる。
その水が端にたまっているゴミを下水
道まで押し流す事で清掃しているとか。
高速道路
 さすが先進国である。高速道路は整備
 されパリ市内を除けば渋滞も少ない。
 跳ね上げ橋
  勝鬨橋のように船が港に入るときは橋が上に開いて
  通せるようになっている

4.彫刻
歴史のある国だけにどこに行っても彫刻や銅像が多く、そのすべてを紹介することは出来ないし内容も分からないが、とりあえず写真だけ。


アルマ橋

ベルサイユ宮殿

ベルサイユ宮殿

大聖堂(ルーアン)

大聖堂(ルーアン)

エッフェル塔

凱旋門

ジャンウダルク教会

モンサンミッシェル

モンサンミッシェル

モンサルミッシェル

スカラ座

スカラ座

スカラ座

シュノンソー城

ヴェルサイユ宮殿

5.絵画
ベルサイユ宮殿内部にはそこの住人はもちろんフランス革命に関するいろんな絵画や壁画が保存されている。ここにはその一部を写してきた。

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